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 「大丈夫!」って、何が?

ところで、私は喫茶店をよく利用いたします。

実は、この原稿も喫茶店で書いています(「実は」という程のことではないのですが)。

執筆関係の仕事で行き詰まると気分転換に喫茶店に行って原稿を書きますし、学習相談を承りに行ったり、学習指導にお伺いしたりする場合も遅刻しないよう早めにその界隈に到着し、喫茶店で時間調整をしています。そのため、私の財布の中には近所の喫茶店のものはもとより、名古屋市内、愛知県内、岐阜県内各地の喫茶店のコーヒーチケットが入っています。

 

さて、これからお話しするのも、時間調整のために立ち寄った喫茶店でのことです。

 

その喫茶店は、かなり広い造りで、入り口を入った正面にレジ、その後ろに厨房があり、レジの右側には「禁煙席」が広がり、左側には「喫煙席」が広がっていました。

私は、入り口に近い席、つまりレジにも近い席に座っていました。やがて注文したコーヒーがやってきました。ウェートレスの女の子は、例のごとく「こちらご注文のホットコーヒーに『なります』」と言いながら、コーヒーをテーブルに置きました。

ところで、この「なります」もひと昔前はコラムなどで話題になっていましたが、もう定着しちゃいましたね。私は、未だに「ホットコーヒーになります」と言われると、「いつごろ『なる』の?」と聞きたくなってしまいます。

それはさておき、しばらくコーヒーを飲んでいると、若い男の子が4、5人で入ってきました。時間帯や服装からすると大学生でしょうか。今時の大学生という感じで、特に崩れているわけでも、特別真面目そうなわけでもなく、ごく普通の若者たちです。

最初に入ってきた子に、さきほどのウェートレスの女の子が、「おタバコは吸われますか?」と尋ねました。きっちりと分煙されている店でしたので、「禁煙席」と「喫煙席」のいずれに案内すればよいのかを尋ねたんですね。

 

すると、何と、この大学生風の男の子が

「大丈夫です」

と答えたのです。

 

コーヒーを吹き出しこそしませんでしたが、そのとき私が思ったのが、タイトルの

「『大丈夫!』って、何が?」

です。

どういう意味なんだろう?

「僕たちは、たばこは吸わない。でも、『禁煙席』が空いていないのなら、『喫煙席』で多少煙をかぶっても『大丈夫』だ」という意味なんだろうか?

いやいや、それとも

「僕たちは、たばこを吸う。でも、『喫煙席』が空いていないのなら、この店に居るあいだぐらいは、たばこを吸わなくても『大丈夫』だ」

という意味かも知れないぞ。

ウーン、これでは「『禁煙席がいい』とも『喫煙席がいい』とも取れるではないか」と考え込んでしまいました。まぁ、一瞬ですけどね。

 

でもまぁ、きっと、ウェートレスの子が

「たばこを吸うんですか、吸わないんですか?」と聞き返してくれると思っていました。

 

ところが、これまた何と

「ハイ、禁煙席にご案内いたします」

と答えたのです。

そして、この判断に誤りはなかったらしく、男の子たちもそのウェートレスについて、「禁煙席」に向かいました。

困りました。

 

ウェートレスの子が聞いてくれない以上、「大丈夫」の意味が分かりません。それに、私は「○○席が空いていないのなら○○席でも『大丈夫』」という解釈例を思い浮かべていましたが、実際には「禁煙席」も「喫煙席」も空いていましたから、この解釈例は当てはまらないのです。もちろん、ウェートレスの子が戻ってきたら、「すみません。さっきの男の子が言った『大丈夫です』って、どんな意味?」と尋ねればよいのでしょうが、なんとなく躊躇しているうちにそのタイミングも逃してしまいました。

 

まぁ、こんなときは、「まったく、近頃の若いもんの話す言葉は、なっとらん」と呟くのが、大人ってもんなんでしょうが。

でも、言葉は生き物ですから、前の世代がその使い方は間違っている、おかしいと言っていても、そうした前の世代の感覚にはお構いなしに、定着するものは定着しますし、淘汰されるものは淘汰されます。別に、前の世代がOKを出したものだけが定着し、NGを出したものが淘汰される訳ではありません。先ほどの「コーヒーに『なります』」もその一例です。

ほかにも、多分私が二十歳前後の頃に使われ始めた「るんるん(気分)」という言葉も、今では辞書(『大辞林』)に載っています(ちなみに『広辞苑』には載っていません。ただし、私が確認したのは第5版ですから、最近の版には載っているかもしれません)。また、これも「若い」言葉だと思いますが、「目が点になる」も、「驚きあきれかえった表情」などという意味とともに、辞書に載っています(ただ、『大辞林』には語釈の最初に「俗に」と書かれており、『広辞苑』では( )でくくった中に「漫画で目を点のようにかいた表情から」と書かれています。「俗に」「漫画で」を読むと、執筆者の「まだ、完全には認めていないからな」という声が聞こえてきそうです)。

また、かつては誤用とされていたものが、多くの人が使うことで「それもアリ」ということになることもあります。たとえば、有名なところでは、「五月晴れ」。本来は「陰暦の五月、つまり、梅雨の合間の晴れ、梅雨晴れ」のことだったのが、「新暦の五月の晴れ」として、「今年のゴールデンウィークは、五月晴れとなるでしょう」などと使われるようになりました。辞書には、「新暦の〜」などという記載はなかったのですが、やがて「誤用ではあるが、近年新暦の〜」と記載されるようになり、今では「新暦の〜」と「陰暦の〜」が併記されている辞書がほとんどです。また、中学入試で、「敬語の使い方が誤っているものはどれか」という問いで、「子どもにおやつをあげる」「犬にえさをあげる」を答えとする問題がよく出題されていました。「あげる」は「やる」の謙譲語なので、自分の子どもや飼い犬に対する自分の行為を謙譲語で表現するのはふさわしくない、という理由からです。最近でも、こうした問題を見かけることがありますが、もう、成立しないのではないでしょうか。というのも、多くの辞書が「あげる」を「やる」の「丁寧な表現」としているからです。まあ、辞書によっては「軽い敬意をふくむ」としているものもありますから、他の選択肢との比較(他の選択肢は、文句の付けようのない正しい使い方)で、答えは決まるというのかもしれませんが、やはり、苦しいですよね。今では、「あげる」を使う場合「丁寧」という意識すらないのではないでしょうか。つまり、「やる」が普通の表現で、「あげる」が丁寧な表現、というよりも、「あげる」が普通の表現で、「やる」は「ぞんざいな表現」という感覚を持っている人の方が多いと思います。

 

さて、先ほどの「大丈夫」の使い方についてですが、私が少しショックだったのが、自分でその意味を推測することすらできなかったという点です。「コーヒーになります」の場合は、「なんで『ご注文のコーヒーです』と言わないのかなぁ」とは思いますが、その意味が分からないわけではありません。また、この「なります」については、世の識者たちが分析した、「強く言い切ることを嫌う若者の気持ちの現れである」という説も納得できます。しかし、この「大丈夫」の場合は、使う人の気持ちどころか、その意味が分からないのです。そして、私が意味すら分からないにもかかわらず、その言葉を使ってコミュニケーションが成立しているのです(少なくとも、あの大学生とウェートレスのあいだでは)。

なんと言ったらいいでしょう。同じ漢字を使っているから「漢字の字面から、その意味を推測できると思っていたら、中国語ではまったく違った意味だったということを知った」ときの驚きに似ている感じです。「○○飯店」とあるから、レストランかと思ったら、ホテルだった。「汽車」とあるから機関車のことかと思ったら、自動車のことだったとかいうアレです。ただ、「大丈夫」の場合は、自分の身近な日本語でのことだけに、驚きは数十倍ですが。

 

さあ、私がその意味を推測することすらできないまま、この「大丈夫」の用法が広まっていったらどうしましょう。

たとえば、資料整理などの仕事を手伝ってくれた大学生に、

「そろそろ昼時だから、何か食べに行こうよ。おごるよ」

と言ったときに、

「大丈夫です」

って言われたら……。「そんなに気を遣ってくれなくても大丈夫ですよ。昼ご飯代ぐらい自分で出しますよ」という意味だと思って、おごらなかったら、実は

「鰻でも、天丼でも、どんなに高い昼食でも遠慮しませんから、大丈夫ですよ」

だったりして。

 

あるいは、どのような文章を使うかは依頼者による指定の形で模擬試験の執筆を請け負ったら、その指定された文章にあの用法の「大丈夫」が出てきて、それがその物語の展開上大きな意味を持った発言で、それに関する設問を作らないわけには行かないとしたら……。

 

いや、いや、もっと恐ろしいことを想像してしまいました。

実は、このコラムを読んでいらっしゃる方のほとんどが「大丈夫」のこの用法や意味を知っていて、かつて亡き父が「テレビに出ている奴の言っていることがよくわからん」と言い出したときに、私が「あぁ、親父も新しい知識を吸収できなくなってきたんだなぁ」と感じた、それと同じ思いを、今、抱いているとしたら。

そんなことはないですよねぇ。


| 09:52 | - | comments(0) | - |
 テストで点が取れないのは、学校や塾の授業をまじめに聞いていないから?

国語。

まじめに授業を受けてノートもしっかりとっているのに、テストになると点が取れないのはなぜ?

まじめに授業を受けているのに、テストで点が取れないなんて、なんか理不尽。

 

生徒、児童であるご本人さま、あるいは保護者の方でこんな感想をお持ちの方は多いのではないかと思います。

不思議といえば不思議なのですが、ある意味当然といえば当然の結果だと思います。

なぜなら、国語の授業は読解指導のみで、その読み取ったことをテストでどう表現するのか、どう書けば自分の読解をテストの解答用紙上で表現したことになるのかについては、指導されていないことが多いからです。

もしこのコラムをご覧の方が保護者の方、大人の方なら、ご自身の受けていらっしゃったこれまでの国語の授業を思い出してください。

 

授業ではまず、大まかにあらすじを取り、新出漢字の練習、難解語句、重要語句の語意の説明。さらに本文を部分に区切り(小説物語なら場面ごと、説明文、評論なら形式段落→意味段落への)詳細な読解へと進みます。そして、その後中間考査、期末考査(小学校ではこういった明確な名称は使いませんが、時期的にみればそういったテスト)が行われます。

問題はその後です。

粗い授業だと、テスト返却後、模範解答はコレコレだ、正しい選択肢はコレコレだ、正しい抜き出しの答えはコレコレだというのをプリントしたものを配るだけ。少しましなクラス、授業担当者だと、何でそうなるのかを少しは理由をつけて説明する。それで終わりです。

テストの問いに「○○の理由を説明した所として最もふさわしい部分を抜き出せ」とある。「ココだ」と思って抜き出した。先生もそこ

()「○○の理由を説明した部分」ではあるとは言う。しかし「最も

(・・)ふさわしい」のはそこではなく、コッチだと言う。どうして「ココ」より「コッチ」が「最も

(・・)ふさわしい」のか、なんだかもやっとしたままチャイムが鳴る。

あるいは、読み取ったところは先生の言うところと自分がココだと思ったところは同じなのに、「おまえの書いた内容はそれとは違う(あるいは、そうは読み取れない解答になっている)」と言われる。たしかに模範解答とは違う。でも、その違いが△になるほどの、あるいは×になるほどの違いだと言われる理由がわからない。また、どうしたら先生の言うように書けるのか誰も教えてもらえない。

 

大事なことが抜けていると思いませんか?

    文章に関して、私は先生の解説してくれた読解と全くちがう読解をしていた。故に記述も抜き出しも、選択肢もそれぞれの設問で×だった。これはいいでしょう。読解ミスなのですから読解からやり直してみましょう。

問題なのは次のケースです。

    文章に関して、私は先生が解説してくれた説明とほぼ同じ読解をしていたと思う。先生の解説を聞けばそれは解る。それに関しては全く異論はない。そう思う。だから、そう思った通りに書いた。でも、「先生は君の解答はそう解釈したとは読み取れない」と言う。故に×だ、大幅減点だと言う。

読み取った内容は先生と同じだ。それと同じ内容をもつ選択肢はアだと思ったからアだと答えた。ところが、「アの内容はそれとは違う。一致しているのはイだ」と先生は言う。自分が選んだ選択肢が正解の選択肢より劣っているのは、説明を聞けばわかる。でもテスト中にそういうことがわかるようにするためにはどうしたらいいのかは、だれも教えてくれない。抜き出しも同じ。後で比べれば、たしかに自分が抜き出した場所が模範より劣るのはわかる。でも、テスト中にどうしたら、そんな比較ができるのかがわからない。

 

つまり、国語のテスト後の解説では最悪の場合は「模範解答を教えられるだけ」。そして、よくて「なぜ君の解答が×なのかを指摘してくれるだけ」。

どうしたらテスト中に「自力で正答にたどり着けるのか、その道筋を教えてくれる」人はほとんどなかったのではないですか。

極論すれば、読解は指導してもらっていても、それをテストの答案でどう表現すればよいのか、それを教えてくれる人はいなかった。

 

ほとんどの子どもたちは、しっかりとした読解の授業を受けているとは言えるのですが、読み取った内容を答案上でどう表現したらいいのか(「どう答えたらいいのか」「どう答えると自分が読み取ったことを正しく表現したことになるのか」「どの選択肢を選べば、自分の読解を反映したことになるのか」)といった指導を受けていない可能性が高いのです。

 

したがって、読めているのに答えられないという子どもたち、わかっているのにそれを表現できない子どもたちがいっぱいいるのです。

 

もちろん、いわゆるセンスのいい子は誰も教えてくれなくてもそうした答えを作る、判断することが可能なのですが、多くのお子さんは何らかの形でルール化して覚えることでしか、正しく答えることができません。

何をルール化すべきか、何を自力でつかませるかについてはお子さんごとに個人差がありますから、指導者はそれを適切に判断しなくてはなりません。


| 18:26 | 国語のテスト | comments(0) | - |
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